【考察】鬼滅の刃:上弦の鬼にはモチーフとなった病気があった!

「鬼滅の刃」は、世界中で愛されている作品であり、その中でも大きな注目を集めているのが上弦の鬼です。

上弦の鬼にもそれぞれ性格・見た目・技に個性があり、彼ら魅力となっていますが、実はキャラ作成に際してモチーフとなった病気(物語の舞台となる大正時代に流行った疫病)があると読者の中で話題を呼んでいます。

本記事では、上弦の鬼が持つ病気のモチーフとその背景にある意味を深堀りし、作品が持つメッセージを探ります。

※この記事はアニメ未放送の内容が含まれています。アニメ視聴派でネタバレしたくないという方はブラウザバックでお戻りください

ポイント

● 上弦の鬼それぞれが持つ病気のモチーフとその意味
● 病気のモチーフがキャラクターの性格や物語にどのように組み込まれているか
● 鬼滅の刃の物語全体で「病気」というテーマがどのように扱われているか

鬼滅の刃 上弦の鬼のモチーフとされている病気

「鬼滅の刃」では、各上弦の鬼が特定の病気をモチーフとしており、これは彼らのキャラクター背景を豊かにし、物語のテーマに深みを加えています。

この創造的な選択は、視聴者がキャラクターへの共感や理解を深めることを促し、同時に人類が共通で直面する病気との戦いについての考察を深める機会にもなります。

これらのモチーフを通じて、物語はドラマチックな戦いとキャラクターの発展と絡めて、病気や絶望とのより大きな、象徴的な戦いを描き出しています。

上弦の壱・黒死牟~上弦の参・猗窩座のモチーフとなった病気

黒死牟、堂磨、猗窩座は「鬼滅の刃」の中で際立った存在感を放つ上弦の鬼たちです。彼らに関連付けられた病気は、それぞれの鬼の個性や物語における役割を深く反映しています。

上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)

黒死病(ペスト):黒死牟は黒死病をモチーフにしており、これは彼の持つ不死性や圧倒的な存在感を象徴している。黒死病は過去に人類を脅かした病であり、黒死牟の恐ろしさと絶望を際立たせています。

上弦の弐・堂磨(どうま)

結核:堂磨の結核モチーフは、彼の美しさと致死性を同時に示している。結核は長い間、治療が困難であったことから、堂磨の不可解さと危険性をより強調しています。

上弦の参・猗窩座

麻疹(はしか):猗窩座の麻疹モチーフは、彼の攻撃性と拡散力を表している。麻疹は高い感染力を持ち、猗窩座の戦闘スタイルと力の強さを象徴しているようです。

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上弦の肆・半天狗~上弦の陸・妓夫太郎/堕姫のモチーフとなった病気

半天狗、玉壺、妓夫太郎と堕姫は、病気のモチーフを通じて、それぞれのキャラクターの深層心理や物語上の位置づけが表現されているのではないでしょうか。

上弦の肆・半天狗(はんてんぐ)

ハンセン病:半天狗のハンセン病モチーフは、社会からの隔離と孤独を象徴する。ハンセン病の患者が経験する苦痛と孤独は、半天狗の内面的な葛藤と外界との関係を反映していると思われます。

上弦の伍・玉壺(ぎょっこ)

アメーバ赤痢:玉壺のアメーバ赤痢モチーフは、彼のトリッキーな戦闘スタイルと狡猾さを示す。アメーバ赤痢は水や食物を通じて感染する病気であり、玉壺の不意打ちや奇襲を連想させます。

上弦の陸・妓夫太郎(ぎゅうたろう)/堕姫(だき)

梅毒:妓夫太郎と堕姫の梅毒モチーフは、二人の関係性と物語における役割の複雑さを表している。梅毒は性的接触で伝播することから、彼らの密接な結びつきと互いに及ぼす影響を暗示していると考えられています。

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あらたに加わった鳴女(なきめ)と獪岳(かいがく)のモチーフは?

鳴女と獪岳は後に登場する上弦の鬼であり、彼らのモチーフとなる病気も物語に新たな層を加えます。彼らが象徴する病気は、彼らの性格や過去、そして物語内での役割を深く掘り下げることに貢献し、物語の複雑さを増します。これらのキャラクターを通じて、病気との闘いがどのように個人の運命を形作り、またそれがどのように集団の中で理解され共感されるかが描かれます。

鳴女(なきめ)

無い:鳴女に関連付けられる特定の病気のモチーフは「無い」という説が有力です。これは、彼女のキャラクター設定や物語内での役割が、他の上弦の鬼と比較して、病気に直接的に関連づけられる明確な特徴や能力を示していないことに基づくものです。この観点から、鳴女は「鬼滅の刃」における病気のモチーフという一貫したパターンからは例外的な存在と考えられています。この独特の配置は、彼女のキャラクターが持つ意味や物語内での役割を探求する上で、興味深い点となっています。

獪岳(かいがく)

コレラ:獪岳のモチーフとされる病気について、「コレラ」という説が有力ですが、「黒血病」という説も存在します。コレラは急速に広がり、深刻な脱水を引き起こす特徴があり、これは獪岳の迅速かつ破壊的な攻撃スタイルに対応していると考えられます。一方で、「黒血病」という説は、彼の使用する「黒血」という能力と直接的な関連があるため提唱されています。これらの病気は、獪岳の残忍さや彼が物語内で引き起こす影響の大きさを象徴していると言えるでしょう。

下弦の鬼のモチーフとなった病気は?

下弦の鬼の大半については、その能力が不明であり、したがってそれらが具体的にどの病気をモチーフにしているかを推測することは困難です。実際、下弦の鬼の名前が病気を連想させる場合もありますが、これが彼らの能力や物語における役割と直接関連しているかどうかは明確ではありません。このことから、病気のモチーフを考慮して名前を選んだ可能性はあるものの、現時点ではその由来を具体的に特定するのは難しいという状態です。

下弦の壱 魘夢(えんむ) 幼少期は現実と夢の区別がつかず夢遊病と思われていた
下弦の弐 轆轤(ろくろ) 妖怪の轆轤首(ろくろくび)と関連?魂が肉体から抜けたもの(離魂病)
下弦の参 病葉(わくらば) 名前に「病」という字が使われている
下弦の肆 零余子(むかご) 「ニガカシュウむかご」という毒性のある"むかご"がある
下弦の伍 累(るい) 生まれつき病弱だった
下弦の陸 釜鵺(かまぬえ)

平家物語の中で鵺の鳴き声から恐怖で天皇が病気になったと描かれている

鬼滅の刃 上弦の鬼が病気をモチーフに作られた意味

「鬼滅の刃」において、上弦の鬼が特定の病気をモチーフにしているのは、キャラクターの単なる見た目を越えた、深い物語性とメッセージを持っています。この独特なアプローチは、物語を通じて人間の脆弱性、恐怖といった感情と、それらを超える強さや勇気の重要性を浮き彫りにします。各鬼が象徴する病気は、彼らの能力や性格、過去と密接に関連しており、読者に対してより深い理解と共感を促す役割を果たしています。このように、「鬼滅の刃」は病気のモチーフを用いることで、単なる戦闘の物語を超えた、人間の内面と闘いを描いているのです。

鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)にもモチーフとなる病気はある?

鬼舞辻無惨のモチーフとしては「」という説が最も有力です。彼が持つ不死性や圧倒的な力、そしてその存在が引き起こす恐怖や絶望の深層を象徴しています。癌は進行性であり、しばしば治療が困難であるという特性を持ちます。これは、無惨との戦いが極めて困難であること、そして彼を倒すためには特別な手段が必要であることを示唆しています。また、癌が持つ不可避性や避けがたい運命の象徴としての側面も、無惨のキャラクターに重ね合わせることができるでしょう。このような解釈は、無惨の存在が「鬼滅の刃」の物語においてどれほど深い意味を持つかを理解する上での鍵となります。

竈門禰豆子(かまど ねずこ)のモチーフは?

竈門禰豆子のモチーフとされる病気に明確なものはありませんが、一部で「ワクチン」という説があります。この説は彼女が「鬼滅の刃」の物語における治癒と希望の象徴であることから導かれます。禰豆子が鬼になりながらも人間性を保ち、兄である炭治郎と共に戦う姿は、病気や逆境に立ち向かう姿の象徴として解釈できます。ワクチンが病気の予防や治療に不可欠であるように、禰豆子の存在が物語において重要な役割を担っていることを象徴しているとも言えるでしょう。この考察は、彼女のキャラクターが持つ多層的な意味を浮かび上がらせ、物語の深い理解に寄与します。

「鬼=病気」との闘いが隠されたテーマだった!?

物語に登場する重要な人物のモチーフに病気が採用されていることから、物語は病気という現実の脅威に立ち向かう人間の闘争を象徴的に描き出し、内面的な強さや希望の価値を強調しているとも考えられます。鬼と戦うことは、病との闘いを表しており、登場人物たちの成長や、逆境に立ち向かう勇気を通して、読者に深いメッセージを伝えています。

まとめ

  • 上弦の鬼それぞれが特定の病気をモチーフに持つ
  • それらの病気がキャラクターの性格や能力に影響を与える
  • 物語の中で病気のモチーフが持つ象徴的意味を探求
  • 下弦の鬼とその病気モチーフの比較
  • 鬼舞辻無惨と竈門禰豆子の病気モチーフに関する洞察
  • 物語の深いテーマ性とメッセージが読み取れる
  • 作品全体を通じて病気と闘う人々へのエールが込められている

「鬼滅の刃」における上弦の鬼と病気のモチーフは、ただの表面的なデザインを超え、物語の深いテーマ性とメッセージを伝えています。上弦の鬼を通して描かれる病気のモチーフは、読者や視聴者に対して、病気という普遍的なテーマへの理解を深めさせると同時に、人間が直面する苦難に立ち向かう力の大切さを訴えかけます。この物語は、病気と闘う全ての人へのエールであり、希望と勇気の物語であると言えるでしょう。隠されたテーマを知った状態であらためて読んでみればまた新たな発見があるかもしれません。一度最後まで読んだという方もこの機会にあらためて手に取ってみてくださいね!

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